縄文人は村を造成する場所選びにいくつかの条件がありました。その中でも重要視したのは狩猟に適した場所、そして先祖の御霊が還る美しい山が見える場所でした。
村の構成も計画的に造成を行いました。安寧な暮らしができるように集落によっては村の中心にお墓をつくり、その周りに家を建てました。家の中からお墓が見えるようにしていた集落もあります。また大湯環状列石は周囲の集落が共同墓地として利用していたようです。
三内丸山遺跡では村の出入り口となる重要な道路の横に数多くのお墓を並べて作っています。先祖の魂が他の村民を迎えたり、先祖の魂に漁や他の村に出かける村人の安全と豊漁を、祈り感謝をする場だったのでしょう。