日本人はいつからお墓をつくり始めたのか
「日本人はいつからお墓をつくり始めたのか・縄文時代編」
縄文時代
それは、今から15,000年前。1万年以上続いた縄文時代は、世界に誇れる日本の文化です。青森県の是川遺跡や三内丸山遺跡、岩手県の御所野遺跡、また秋田県の大湯環状列石に行くと縄文人は争いを嫌い、村人同士が協力し合いながら暮らしていたことがよく分かります。
村の中心に配置された墓所
縄文人は村を造成する場所選びにいくつかの条件がありました。その中でも重要視したのは狩猟に適した場所、そして先祖の御霊が還る美しい山が見える場所でした。
村の構成も計画的に造成を行いました。安寧な暮らしができるように集落によっては村の中心にお墓をつくり、その周りに家を建てました。家の中からお墓が見えるようにしていた集落もあります。また大湯環状列石は周囲の集落が共同墓地として利用していたようです。
三内丸山遺跡では村の出入り口となる重要な道路の横に数多くのお墓を並べて作っています。先祖の魂が他の村民を迎えたり、先祖の魂に漁や他の村に出かける村人の安全と豊漁を、祈り感謝をする場だったのでしょう。
お墓の石には銘石が使われた
お墓として使われている石は村から掘り出された石ではなく、数キロから十数キロ離れた美しい山や、色・形の美しい石が採れる川から運ばれています。そして、15,000年を経過した現在もほとんどの石が割れずに残っていることから、先祖のお墓に相応しい石を選び、慎重に大切に運んだのでしょう。
お墓が出来るまでの年月
平均身長1m50㎝の縄文人にとって、重さ10㎏から500㎏の石を丁寧に運ぶことはけっして容易なことではなく大変なことであったでしょう。お墓が出来るまでの期間は亡くなった人を埋葬してから完成するまで5年前後の時間を必要としたことが判明しています。
縄文人にとってのご先祖様
縄文人は神道も仏教も存在していない時代から、ご先祖様の魂を代々に渡り供養していました。それは、縄文人にとって親子の絆は深く、お互いの幸せを願う気持ちは死後も消えることがなかったのでしょう。そうでなければこの様なお墓をつくることは不可能だったと思います。
日本人の遺伝子の中には、近隣諸国の人々の中でも群を抜いて縄文人のDNAが多いそうです。日本人の世界に認められる技術力、思想や文化は、縄文人のDNAが影響しているともいわれています。

製作協力 /

八戸市埋蔵文化財センター是川縄文館

御所野縄文博物館

大湯ストーンサークル館

三内丸山遺跡センター