日本人はいつからお墓をつくり始めたのか
「日本人はいつからお墓をつくり始めたのか・弥生時代編」
弥生時代
日本人がお米を作り始めた紀元前10世紀(今から3000年前)から紀元後3世紀までの約1300年の間、この時代のことを想像できる場所が、九州・佐賀県の吉野ヶ里遺跡にあります。
この遺跡は、魏志倭人伝に書かれている倭国の女王である卑弥呼が君臨した邪馬台国だという説のある場所です。
弥生人のお墓
1300年の間には土壙墓・石棺墓・甕棺墓と形式は異なりますが、3000基以上のお墓が確認されています。
弥生人の生活
この集落には約1300人が生活していました。王や支配者層は田植えや収穫の時期を決めるため、政治や儀礼を行う建物や区域を設けました。また、養蚕業を始め絹の生産をして、他の集落の特産品と交換する市を開いています。
お墓と生活と山
小高い所に設けられた歴代の王を埋葬した墓地と庶民の墓地のどちらにも頻繁にお参りしていたことを伺える参道があります。お墓と政治や儀礼を行った建物の位置、祭壇の向きは二つの信仰の山(雲仙岳・背振山)を結ぶ聖域の軸線と重なっています。
弥生人は死者の魂(祖霊)を神として祀り、常に祖霊を中心にした生活をおくっていたことが分かっています。

製作協力 /

吉野ヶ里歴史公園