お釈迦様と日本の仏教
お釈迦様と日本の仏教「ブッダの生涯」
お釈迦様と日本の仏教「ブッダの生涯」
王子として何不自由なく恵まれた生活を過ごしていたブッダがどうして29歳のある夜、出家し苦行を始めたのか。ブッダの生涯の中で重要な節目を伝えている釋迦八相をご紹介しながら、なぜお墓参りをすると清々しい気持ちになるのかをお話させて頂きます。
ブッダ(仏陀)とは人の名前ではありません。サンスクリット語で覚者、真理を悟った人を意味します。ブッダの本名はゴータマ・シュダールタ(悉達多)と言います。インド、南アジア、西洋諸国では仏教の開祖個人『ゴータマ・シュダールタ』を指す言葉になりました。ここでは、『お釈迦様』『釋迦』などの呼び方もありますがブッダと呼びたいと思います。
紀元前3,100年頃、古代インドではインダス文明が栄えていました。その後紀元前1,500年頃に中央アジアに住んでいたアーリア人が侵攻し先住民族を支配下において四姓制度を作り上げました。
ブッダが生まれた頃の四姓制度は、
●バラモン(司祭者)
●クシャトリア(王や貴族)
●ヴァイシャ(市民)
●シュードラ(隷民)
の4階級に分かれていました。
ブッダはこのうちのクシャトリア(王や貴族)として紀元前463年、ヒマラヤ山脈の南側・現在インドとの国境近くネパール・ルンビニでシャカ族の王子として生まれました。
降兜率(ごうとそつ)
降兜率とは、ブッダが菩薩として修行をしていた兜率天から、
この世に白象となって降臨する伝説。
シャカ族の王子として生まれるずっと昔、ブッダは『メーガ』と呼ばれる若い修行者でした。ディーパンカラ(燃燈仏)と呼ばれる過去のブッダは、慈悲深いメーガを見て『この青年は時間はかかるが釋迦牟尼』と呼ばれるブッダになるだろうと予言しました。メーガとしての生涯が終わってから、ウサギ、象として生まれ変わり死に変わった後に兜率天で生まれました。
天界の兜率天にいるブッダ。中央の宮殿に天女四人をともなって座るのがブッダ。ブッダがこの世に降誕する前に天界にいた様子で左右に太鼓や笛をもって音楽を奏でる天女が見られる。
兜率天でブッダがこの世に降誕する直前に宝冠を弥勒菩薩に手渡す。宮殿の中で、台の上に座るのが弥勒菩薩で立って宝冠を手渡すのがブッダ。左右には多くの天人たちがいる。
兜率天とは天界のひとつで神々の世界に達する須弥山の頂上に位置する天界です。兜率天でブッダは菩薩として修行、説法をしていましたが、やがてこの世の人々を救済するために六本の牙を持った白い象になって人間界に降臨されました。
托胎(たくたい)
托胎とは、ブッダが白い象になって、
母マーヤー夫人の胎内に入ったという伝説。
シャカ族の王スッドーダナ王(浄飯王)の王妃マーヤー夫人(摩耶夫人)はある夜、白象が右のわき腹から体内に入る夢を見た直後にブッダを懐妊しました。つまりブッダは白象になって人間界に降りてきて母の胎内に入ったのです。ブッダを懐妊したマーヤー夫人は、不思議な事につわりのような苦しみはありませんでした。花を愛し鳥のさえずりをめでる心豊かな時を過ごしていました。
マーヤー夫人の霊夢。中央に寝ているのがマーヤー夫人で白象としてブッダが天界から降りてきた様子。 左上に白象がみられる。
降誕(ごうたん)
降誕とは、ブッタが生まれたことをいいます。
ブッダ生誕の地「ルンビニ」。ネパール南部タラーイ盆地にあるマヤ堂とアシュカ王の石柱。
シャカ族の東隣コーリヤ族出身のマーヤー夫人は出産のために、実家に帰ることをスッドーダナ王に願い出ました。王から快く承諾を受けたマーヤー夫人は、多くの侍女を従えコーリヤ国に向かいました。
途中マーヤー夫人一行はシャカ族の首都カピラヴァットウから24㎞ほど離れたルンビニに立ち寄りました。
ヴァイシャーカ月(インド暦の第二月)の満月の日(西暦紀元前463年4月8日)、マーヤー夫人が沐浴を済ませ20歩ほど歩み爽やかな陽光の中、静かに右手を伸ばし赤い花が咲き乱れた無憂樹の小枝にふれたとき、その右腹からブッダが生まれました。
ブッダは生まれて間もなく七歩歩いて、右手を上に挙げ左手を下に下げ『天上天下唯我独尊』(てんじょうてんがゆいがどくそん)と宣言したと伝えられています。
生まれてすぐ歩き言葉を発することは人間としてとても難しいことです。これはブッダを神格化した表れだと思います。
中央に菩提樹、右には、マーヤー夫人の右腹からブッダが誕生する場面。左には、ブッダが蓮華の上を7歩く光景が描かれ天人たちが合掌している。
マーヤー夫人はブッダを出産して七日目で息をひきとりました。ブッダは、父スッドーダナ王と、のちに王の後妻となったマーヤー夫人の妹マハーパジャパティーから、愛情と優しさをそそがれ育ちました。
マハーパジャパティーが宮殿で赤ん坊のブッダを膝の上にのせて抱く姿。
ブッダは幼少の頃から人生の矛盾、無常、悲しさに関心を示していました。ブッダが幼いころ父スッドーダナ王に連れられ鍬入れの儀式に参加した時に、泥と汗まみれで辛そうに農夫が働く姿、鍬で掘り起こされた土の中から出てきた虫、その虫をくちばしでくわえ飛んでいく鳥の様子を見て、ブッダは自然界の残酷な現実と人間界の苦るしみの姿に哀れみと憂い感じ瞑想することもありました。
そんな感受性の強い繊細な精神の持ち主のブッダは、落ち着きを備え清潔で賢く威厳に満ちた容貌だったとあります。父スッドーダナ王は暑さをしのぐ夏の宮殿、寒さをしのぐ冬の宮殿、雨期をすごす宮殿を建設しブッダを大事に育てました。
7歳になった頃から、王になるための学問と技芸を教えられたブッダは短時間で習得しました。その後、ブッダは16歳の時ヤソーダラー姫と結婚し、やがて男児ラーフラ(羅喉羅)が生まれた。
ブッダとヤソーダラー姫との結婚。女官たちに付添われながら宮殿の中の台に座わり、合掌しているのがヤソーダラー姫宝玉をつらねた装身具で身を飾っている。
しかし父スッドーダナ王は、生まれたばかりのブッダを見て『王子は必ず悟りを開き、多くの人に利益をはかり教えを説くようになるでしょう。』と予言したアシタ仙人の言葉が気掛かりで、いつの日かブッダが国を捨て出家してしまうのではという不安を抱いていました。
ある日、城の東門を出た時にブッダは老人と会いました。ブッダは自分も老い、誰もが老いて容姿が見にくくなり気力が衰え弱る不安と苦しみを見ました。またある日、城の南門を出た時に病人と会いました。ブッダは自分も病気にかかり誰もが病気にかかる苦しみを見ました。またある日、西門を出た時に死者を運ぶ葬列に出くわし、ブッダは自分の死と全ての生き物が行きつく死の苦しみを見ました。
そして北門から出たブッダは森の中に入り木の根元で瞑想に入る修行者に会いました。
ブッダが城の東門で老人に出会う。中央の馬車に日傘をそえられているのがブッダ左端に腰の曲がった老人がいる。
ブッダが城の南門で病人に出会う。中央の馬車に日傘をそえられているのがブッダ左端にあばら骨がでた、あわれで悲しい病人が樹の下にいる。
ブッダが城の西門で死人と出会う。中央の馬車に乗っているのがブッダ。左側の家の中で横たわる死者の姿がみえる死者の周りには死を悲しむ人達の姿もみえる。ブッダは老病死の三苦を知り出家を考える。
ブッダは城の北門で出家の身である修行者に出会う。中央の馬車に乗っているのがブッダ。右手を胸のところまであげ左手を静かにたらした清僧の姿をした修行者がみえる。
ブッダはその修行者に尋ねました。『あなたはどなたですか』修行者は答えた。『私は生死の問題を解決しようと思い、解脱を求め出家した修行者です。木の根元、森、山に住んで心の安らぎと不滅の境地を求め解脱を望んで修行をしているのです』ブッダは修行者の言葉を聞いて、自分も出家し森の生活を送り不滅の境地に達する理法を得たいという思いが湧き起りました。
出家(しゅっけ)
この世に生まれたものは誰でも老いる苦しみ、
病気の苦しみ、死の苦しみから抜け出すことができないという無常を感じ出家します。
ブッダが結婚をして子供を授かり、これで出家し国を捨てることはないだろうと安心していた父スッドーダナ王の部屋にブッタが出家の承諾を得ようと入ってきました。
ブッダが父スッドーダナ王に出家の希望を打ち明ける。ブッタが夜中に打ち明ける様子で右の正面を向いて座るのが父スッドーダナ王。左に座り語っているのがブッダ。左端には夜中のため居眠りをする臣下達が見える。
父スッドーダナ王は心臓が止まるほどの驚きをおぼえ、これまでの不安が現実になったことを悟りました。父スッドーダナ王は出家を思いとどまり王家の繁栄を護ってほしいと懇願し、さらに多くの楽しみをブッダに与えよと家臣に命じ監視も厳しくしました。
妻ヤソーダラー妃はラーフラを抱きブッダを労ったが、ブッダの意思はかたく、いささかも心は動きませんでした。ある夜ふと目が覚め出家を決意したブッダは、馬丁チャンナを起して愛馬カンタカを連れてくるように命じました。チャンナは若い時は人生の喜びをもっと味わうべきだと必死で引き止めましたが、ブッダの意思は変わらず、ブッダは愛馬カンタカに乗って城を後にしました。
カンタカに乗って城を出ていくブッダ。左側の馬に乗るブッダ、天人が同伴し馬の足元には蓮華がそえられ、天人や夜叉がささえ足音がしないように走って行く。
ブッダはアノーマー河のほとりで身に着けていた装飾品を馬丁チャンナに渡し別れました。馬丁チャンナは泣く泣くカンタカを連れて城に戻りました。ブッダが戻ってこないと知った父スッドーダナ王は失神するほど酷く悲しみましたが、神々にブッダの守護を祈りブッダの身の回りの世話をさせようと王族の子弟5人を選びブッダのあとを追わせました。
悟りを開いたブッダの最初の説法を聞いたのが、この五人であると言われています。
降魔(ごうま)
ブッダが悟りを開く事を邪魔する
悪魔との戦い。
出家したブッダは先ず苦行者の森を訪ね、ブッダはそのうちの一人の修行者に苦行の目的を尋ねると、彼らは死後に天界・人間界に生まれ変わる為に様々な苦行を行っていました。ブッダは苦行をする修行者とは目標が異なったため、次にヴィンディヤ山脈のアーラーラ・カーラーマ仙人のもとに向かいました。途中、城を出て7日目480㎞以上離れたマガダ国の首都ラージャガハ(王舎城)に辿り着きました。
インドの大国であったマガダ国の王、ビンビサーラ王は若く美しく気品をそなえたブッダの姿を見て深く心を打たれた。ビンビサーラ王はブッダに財力を与えようとしましたが、欲望を一度手に入れると次にそれをもっと増やしたくなる。増やせば今度は守らねばならないという気持ちが起こる。この様にしていると、決して心の平安は得られない。私は世俗の欲望に悦びを見出せないので、解脱を解き明かすというアーラーラ仙人のもとに行きたいと告げました。これを聞いたビンビサーラ王は言いました。「あなたの願いがつつがなく成就されますように、そしてあなたの目的が完遂された時には、どうか私の所に来られ御教えを下さいますように」とブッダと約束を交わしました。
アーラーラ仙人のもとに着いたブッダが、生と死と病の苦から解放されたいと願い出家生活をしている者です。どうかその方法をお示し下さいと願うと、アーラーラ仙人は快く迎え、この苦しみから解脱するには正しい信仰、精進努力、思念、精神統一が必要で、それによって智慧に到達できると説き、無所有処という精神統一法を教えました。
ブッダがアーラーラ仙人を訪れる。右端の蓮華に乗っているのがブッダ、向かい合って立っているのが、アーラーラ仙人、他にも5人のバラモン僧(子弟)が描かれている。
次に、ウッダカ・ラーマブッタ仙人から非想非非想定という精神統一法を学び、心の修業方法としては最高の方法を二人の仙人から教わりました。
ブッダがウッダカ・ラーマブッタ仙人を訪れる。右側に動物たち、動物たちが見守る中で右側に座るブッダと左に座る髭のはやしたウッダカ・ラーマブッタ仙人と向かい合い、問答をする光景が描かれている。
しかし、本来の願いには到達できないと悟りブッダはここを去り、王舎城の西南の森林に囲まれ河が流れる美しいセーナ村に入りました。二人の仙人から修得できるものは全て修得したブッダが、セーナ村を選んだのは村には修行者が苦行を行う苦行林があり、自らの力と身も心も静寂になることで求める安らぎを得られると考えてのことでした。
ブッダは第一に心を制御する苦行を始め、第二に息をとめる苦行を行い、第三に絶食、第四に減食の苦行を行いました。ブッダの苦行は非常に厳しいものでした。
パキスタン国から北鎌倉建長寺に寄贈された釋迦苦行像。ガンダーラ文明の遺跡でラホール中央博物館に安置されている像の複製。
その苦行は6年とも7年ともいわれ、その体はやせ細り、皮はしわしわになり目は深くくぼみ、骨や筋や血管がはっきり見えるようになり、腹の皮を触ると脊柱にとどくほど痩せました。また毛根が腐り毛は抜け落ち、皮膚の色も黒ずみ、生きた人間には見えなくなっていました。
五人のバラモン僧(子弟)とともに苦行の日々をおくる。左端にブッダがいて、その右から五人のバラモン僧が横並びに座っている。右側にはネーランジャラー河が描かれている。
しかし、心の安らぎを得られなかったブッダは過去にも現在にも私ほど激しい苦行をしたものはいない。これほどの激しい苦行によっても、なお人間を超えるすぐれた知見に達することができないのであれば、おそらく他の道があるのだろうと考え、命がけの苦行を放棄しました。
苦行を放棄したブッダは、ネーランジャラー河で沐浴をして心身を洗い清めました。衰弱がひどく、やっとの思いで岸に上がったブッダに、スジャーターと呼ばれる村の娘が乳粥を差し出すとブッダは一息に飲みほしました。
苦行でやせ細ったブッダに乳粥を差上げる娘スジャーター。右側にブッダが立ち、金の鉢に入れた乳粥を差出す光景。
父スッドーダナ王からブッダの護衛に派遣され、ブッダより悟りの教えを授けてもらえると考え、共に苦行をしていた5人の修行者は、もうブッダは悟りを開く心が無くなったと思い、ブッダを捨て多くのバラモン修行者が集まっているカーシー国ベナレスの鹿の園に立ち去って行きました。
乳粥を飲んで体力を回復したブッダは、ネーランジャラー河で沐浴をして体を清めたあと西の岸に上り、岸辺に立つアシヴァッタという一本の大きな木の下に土地の農夫から貰ったムンジャ草の乾草を敷き、「自分は目的を達成するまでは決してこの座を立たない」と決心し瞑想に入りました。
龍王サーガラの娘がブッダに宝座を差上げる。右側にブッダが鉢を持って立ち、その前に頭上に蛇が描かれ、ひざまずき両手をついている龍王の娘がいる。その後ろには宝座があり更に後ろには3人の龍女たちがいる。
瞑想をしていると、欲望、嫌悪、飢え、妄執、億劫と睡魔、恐怖、疑い、見せかけと、強情、利欲と名誉欲、けなす心を軍勢にした悪魔が、次々と姿を変えブッダの悟りを妨害しにきました。
これら全ての戦いは自分自身の煩悩と怠け心や迷いとの戦いを指すことで、出家から悟りを開くまでの7年もの間、戦い続けていたのでしょう。
瞑想に入ったブッダ。中央の菩提樹の下に座るのがブッダ。左右には様々な形相をした恐ろしい悪魔が描かれ、ブッダは右手で地を指し悪魔を追い払っている光景。
成道(じょうどう)
アシヴァッタ樹(菩提樹)の根元にクシャ草を敷きつめ、
幹を背に瞑想に入った七日目に悟りを開く。
ブッダが悟りを開かれた地「ブダガヤ」。インド東部ビハール州ガヤーの街から15㎞南。高さ50mの大塔はストゥーパではなく金剛法座を祀る祠堂で635年頃に玄奘三蔵も訪れている。
悪魔との戦いを終え、ブッダは深い瞑想に入った。世俗的な思いが心から離れその喜びの心もなくなり、平静な心となり安楽を感受することも捨て浄らかになる瞑想に到達した。こうして心が統一され清浄で汚れなく柔軟で不動になった時、自分の過去の生涯が見えてきた。
さらに人々が死んだ後に生まれ変わるのを見ることができ、死ねば不本意に肉親を慈みの心にする。
身に言葉に悪い行いをしたものが、身の毛もよだつ恐ろしい地獄に生まれ苦痛の為にわめく、またある者は煮えたぎる鉄を飲まされ苦しみ、腕を木のように斧で割られている者もいた。
身に言葉に善い行いをしてきたものは天界の地に生まれ変る。しかしその安楽の地も永住の場所ではなく、天界の人達は愛欲の楽しみを味わい続け、精神と物質の両面で欲望を失せ、この世が永遠である観念を持つことで天界から堕ちる。

◎ケチなため希望は失せるが命だけは延び与えられるが汚物さえも食べる事が出来ない餓鬼の世界。
◎動物として生まれ、肉や毛、皮や牙を採るだけの為に肉親の目の前で殺され、強いものが弱いものを苛め食われる畜生の世界。
◎人間界に生まれた者は欲望にとりつかれ、望むものが思うように手に入らず苦しみ、手にすると手にした物を守る苦しみにとりつかれ、家族を亡くし悲観に暮れる世界。

いずれの世界も永遠が無く苦しみが続くと知った。さらにブッダは瞑想をする正しい智慧で、誕生があるから死があり苦しみが続く。人間は生まれると、言葉を話し欲しい、惜しい、憎い、かわいいなど心が芽生え、やがてその心は執着となり欲望をつのらせ憂い、苦しみ、悲しみ、悩みを生じるようになる。それは教養、知識、訓練、抑制心が働かない身心の奥底に潜む欲望が源になっている。そして人間をたらしめている活動が生まれ、老い、死ぬという一連の苦しみを起すと知った。
そして人生や物事は、いつも同じ状態にはない無常で固定的ではない事に気づき、ブッダは一切の事を知る智慧を得て人生の苦しみの原因根源を克服する道を見出し、さらに苦しみの原因根源を消滅させたのです。
35歳のブッダは知らなければならぬ全てを悟り、
明けの明星が輝く12月8日ブッダとなったのです。
ブッダが悟りを開く。中央に菩提樹があり宝座にブッダが座る。ブッダの右手は地を指し、触地印をなし悪魔を払い除け悟りを開く左右の天人たちはブッダを讃え、合掌礼拝し喜びを伝える。
大塔の西側、ブッダが禅定した場所にある金剛法座。大塔の周りにはアシュカ王の石柱、仏足石、ムリリンダ龍王池があり多くの仏教徒が敬虔な祈りを捧げている。
転法輪(てんぽうりん)
苦行を共にした5人に
初めて仏教の説法をする。
悟りを開いたブッダが最初に説法をした仏教の誕生した地「サールナート」。インド北部ウッタル・プラデーシュ州ベナレスの北方10㎞。初転法輪の地にはダルマラージカストゥーパ、アシュカ王の石柱、迎仏の塔がある。
悟りを開いた後もブッダは瞑想を続け、悟りを味わっていたが突然「私の悟った真理は難解で賢者のみが理解でき、世の人々は我執を追い求め行動している。私が教えを説いても理解されず疲労困憊するだけで無駄であろう」と心の中に浮かんだ。
ブッダは悟りを味わったまま、人々に自分の真理を説法しないまま死んでしまおうと考えた。すると梵天がブッダの前に現れ 人々の為に教えを説くことを懇請したが、ブッダは無駄であろうと断わってしまった。
梵天や天人たちがブッダに説法を勧める。中央に禅定印をむすび瞑想するブッダの左右に、説法を懇願する梵天や天人が集まっている光景。
しかし梵天は何度も何度もブッダに懇請し続け、とうとうブッタは心からの懇請と知り人々に説法をしようと意思を固めた。
ブッダは自分の悟った真理を誰が理解してくれるか考え、自分自身が師事したアーラーラ・カーラーマ仙人とウッダカ・ラーマブッタ仙人のことが頭に浮かんだが、二人ともすでに亡くなっていることが分かり、次に6年間の苦行時代に自分に仕えてくれた5人の修行者に教えを説いてみようと思い、彼らがとどまるカーシー国のベナレスの苦行林、鹿の園に向かって歩み出した。
ブッダが最初に説法をしようと考えたアーラーラ・カーラーマ仙人とウッダカ・ラーマブッタ仙人の死を惜しむ。ブッダの前には梵天や天人が更に集まってきた。
ブッダが苦行を捨てて堕落してしまったと思っていた5人の修行者は、向こうから向かってくるブッダの姿を見て、挨拶する必要もないだろうとお互い言い合ました。しかし近くでブッダを見たとたん思わず立ちあがり、ブッダを出迎えてしまうほど相貌があまりにも尊く神々しい姿でした。
ブッダは自分が悟りを開いたことを5人の修行者に告げ、説法を始めた。先ずは、悟りを開く為に実践してはならない2つの話をし、続いて正しい見解、正しい思惟、正しい言葉、正しい行い、正しい生活、正しい努力、正しい自覚、正しい瞑想から成る八正道があり、これが真実の安らぎである涅槃に導く道で、この実践法に従って悟りを開きブッダとなったと教えた。
この後ブッダは4つの真理
『◎生まれる苦、◎老いる苦、◎病気になって衰弱する苦、◎死の苦』がありこれを四苦と説いた。
そして
『◎嫌な人に会わなければならない苦、◎愛する者と離別する苦、◎欲しいと求めても叶わない苦、◎執着によって起こる心と身体とそれを取り巻く全ての苦』を加え四苦八苦と説いた。
このように私たちの人生は苦であるという真理で、これを苦諦と云う。そして、その原因と理由になるものは何かを明らかにすることを集諦と云う。集諦で明らかにした欲望を捨て去った状態、苦の原因を捨て去った状態を示す真理が滅諦であり、その苦を滅する道を説いたのが道諦であり、八正道こそが実践すべき道だと説きました。
このブッダの最初の説法を初転法輪といい仏教が誕生した瞬間になります。
ブッダが5人のバラモン僧(子弟)に最初の説法(初転法輪)をする。中央にブッダが座り右側に3人左側に2人の合計5人が描かれている。
涅槃(ねはん)
死を悟ったブッダが悲しみに嘆く弟子たちに、
お墓についての説法を行なう。
多くの弟子をもち仏教を広め、80年の生涯を閉じた地「クシナガラ」。インド北部ウッタル・プラデーシュ州ベナレスの北方150㎞。長さ6.1mの涅槃像が横たわる涅槃堂。荼毘塚がある。
ベナレスで5人の修行者に最初の説法をしたブッダは、この後、悟りを開いたガヤーのウルヴェーラに戻り、この地に1000人の弟子をかかえていた高名な3兄弟のバラモン僧に説法をすると、3兄弟と弟子達はブッダの弟子となりました。その噂を聞いたマガダ国のビンビサーラ王は、以前出逢ったシャカ族出身の修行者ではないかと、ブッダが滞在していた王舎城郊外のラッティ林園に出かけました。そして高名な3兄弟ウルヴェーラ、ナディー、ガヤーがブッダのもとで修行をしている姿を見たとき、ブッダの偉大さを改めて知り、説法を聴き在家信者となり、一生ブッダの援助者になることを誓いました。
ブッダは生涯、諸方を遊歴して一ヵ所に留まることはなかったが、ブッダの住居としてビンビサーラ王から寄進された竹林精舎を拠点に教化活動を行いました。
ブッダの生涯最後の時期は、当時インド最大の強国だったマガダ国の首都・王舎城の東北方向にある鷲の峰(霊鷲山)にとどまり説法をしていました。80歳になり、ブッダはシャカ族の故郷カピラヴァットウへの長い旅に出かけました。
しかしその旅路は王舎城からガンジス河岸のパトナまで90㎞。さらにガンジス河を渡りヴェーサーリー市まで50㎞。さらにクシナーラまでは現在でも道が悪く専用バスでも12時間もかかる長旅です。
ブッダはいくつかの村を通ってパーターリ村からガンジス河を渡り、さらにコーティ村、ナーディカー村を経由して北に進み、当時、大商業都市として有名だったヴェーサーリーを通ってパーヴァーという町の鍛冶工チェンダのマンゴー樹林のなかにとどまりました。
チェンダはブッダが自分のマンゴー樹林にとどまっている事を聞いて、そこにおもむきブッダの説法を聴聞したこのあとチェンダはブッダ一行を朝食に招待しました。ブッダ一行はチェンダの邸におもむき様々な料理を、特にきのこ料理の接待を受けました。
ところがブッダはきのこ料理の毒にあたり、激しい苦痛と血が迸り出る下痢に悩むこととなった。しかし、ブッダは腹痛に悩まされながらクシナーラに向かって歩みを進めました。それは誰かがチェンダのことを責め、チェンダの心に後悔の心を起さないように気づかってのことだった。
腹痛に悩まされながらもクシナーラに到着したブッダは、愛弟子のアーナンダに「アーナンダよ私のために二本並んだ沙羅双樹の間に頭を北に向けた床を用意してくれ。アーナンダよ。私は疲れた。横になりたい」と告げ、用意された床に横になった。
そして、アーナンダに言った。「アーナンダよ、おまえたちは私の遺骨の供養には関わらず、正しい目的のために努力せよ実行せよ。正しい目的に向かって勤め、専念しておくれ。私の遺骨は、王族、バラモン、資産者の賢者達で遺骨の崇拝をするであろうから」。
アーナンダは聞いた『尊い方よ、遺体をどのように処理をしたら良いのでしょう』。ブッダは答えた「アーナンダよ、世界を支配する帝王(転輪聖王)を処理するようなしかたで処理すべきである」。
そしてブッダは言った。
四つ辻に修行完成者のストゥーパをつくるべきである。誰であろうと。そこに花輪、香料、顔料をささげて礼拝し、また心を浄らかにして信じる人々には、長いあいだ利益と幸せが起こるだろう。そして私の教えを聞いて実行する人(成仏した人)に人々がかれのストゥーパをつくって、これを拝むべきである。そうすれば、心が浄まって死後に、善いところ天の世界に生まれる。
と遺言されています。つまり…
ブッダのお墓にお花と、線香と顔料を供え心を清らかに礼拝すると、長い間、御利益と幸せがくるだろう。そして、ブッタの教えを聞いて仏に成った人のお墓をつくりお花と線香と顔料(水)を供え拝む者にも、長い間、御利益と幸せがくるだろうと約束されているのです。
アシュカ王がブッダの遺骨を安置するために建立したストゥーパ「サンチー」。インドの中心、マディヤ・プラデーシュ州の州都ボーパル市の北東70㎞。日本人のお墓の原点。
ボロブドゥールの第一回廊にはブッダの生涯を伝える120枚の仏伝図があります。
ここで紹介する22枚の仏伝図はボロブドゥールの仏伝図を使用しています。